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東京高等裁判所 昭和33年(ネ)264号 判決

事実

控訴人(一審原告、敗訴)大上新助は昭和二十七年五月に破産者三菱殖産株式会社の石下町出張所長となり、昭和二十八年六月末日に退職したものであるが、破産会社に対する立替金債権があり、また破産会社の金員を一時流用したことによる債務をも負担していたので、その決済について破産会社の社長と折衝中、昭和二十八年六月六日に同会社の金員を横領したとの疑によつて逮捕状を執行され、同日から同月二十四日に釈放されるまでの間、石下警察署、或いは水戸地方検察庁下妻支部で勾留のまま取調を受けたが、この被疑事件は不起訴処分に付された。ところで控訴人は本件家屋を所有していたところ、被控訴人(右三菱殖産株式会社破産管財人)は右建物を控訴人から昭和二十八年六月二十九日買い受けたとして同日右売買原因による所有権移転の登記手続をした。これについて被控訴人は、昭和二十八年六月下旬破産会社の社員鈴木省吾及び大里良平が控訴人と交渉した結果本件家屋をもつて控訴人の破産会社に対する債務の代物弁済に充てる旨の合意が成立した、と主張するが、もし控訴人が釈放された後に右のような契約が成立したとすれば、これに基いて本件家屋についてなされた所有権移転登記に用いられた控訴人の印鑑証明書も、その後の六月二十四日以降の日付で交付されたものを使用すべきであり、或いはすでに交付を受けていたものを使用したとしても、六月六日に拘束を受けた以前の日付でなければならないのに、本件登記に使用した控訴人の印鑑証明書の日付は同年六月二十日である。すなわち、右印鑑証明書は控訴人の不在中何人かが控訴人に無断で交付を受けたもので、また本件登記に用いられた委任状の捺印も何人かが勝手にしたものと認めざるを得ない。また、本件登記申請に際しては、登記済証滅失と称して、これを添付しないで申請手続がなされているが、本件家屋の登記済証は現に控訴人が所持しており、もし真に控訴人が右登記を承諾していたとすれば、当然にこれは破産会社に手交されていた筈である。従つて、本件所有権移転登記申請は、控訴人の全然関知しないでなされたものであるから、右登記の抹消登記手続を求める、と主張した。

被控訴人は、破産会社が本件所有権移転登記をなすに至つた経緯として、控訴人は昭和二十八年六月当時三菱殖産株式会社石下出張所に勤務中、他人名義又は自己名義で同会社から金員を借り受け、更に会社に入金すべき金員を入金せず合計金百二十四万余円の債務を負担していたが、右の事実が判明したので破産会社は右債権回収のため社員鈴木省吾及び大里良平をして控訴人と交渉せしめた結果、同年六月下旬頃本件家屋を金四十万円の評価を以て右債務の代物弁済として充当することその他の条件を以て当事者間に和解が成立した。よつて破産会社は控訴人の代物弁済により本件家屋の所有権を取得したので、同月二十九日破産会社のため売買名義による所有権移転登記を了したものである、と抗争した。

理由

証拠を綜合すれば、次のような事実を認めることができる。すなわち、控訴人は、破産者三菱殖産株式会社の下妻営業所石下町出張所として在職中、自己名義または他人名義で破産会社から金員を借り受けたり使い込みをする等の行為で会社に対し百二十万円位の損害を与えていることが昭和二十八年六月頃会社の監査の結果判明した。そこで会社の経理担当者鈴木省吾らに追求された結果、同月下旬頃、控訴人は右百二十万円を会社に返済することを約束し、これを現金で支払うことができなかつたため、本件建物をそのうちの金四十万円の代物弁済として右債務に充当するという契約を破産会社との間に締結し、右建物の所有権移転登記申請用の委任状の用紙に捺印した上、これを右鈴木に交付した。そこで鈴木は必要書類を整えて同月二十九日、同会社員大里良平をして、売買名義によつて本件建物の所有権移転登記申請手続を行わせた。以上のとおり認められるところ、控訴人が昭和二十八年六月から同月二十四日までの間、身柄拘束のまま水戸地方検察庁下妻支部の取調を受けていた事実については当事者間に争がない。しかして証人鈴木省吾の証言によれば、同証人が監査をしていたときは控訴人は勾留中であつたので、その出所を待つて前記交渉を行つたということであるから、右身柄拘束の事実は前記認定の代物弁済が控訴人の真意に出でたものと認めることの妨げとはならない。

また、本件登記手続に使用された印鑑証明書が、控訴人の勾留中である昭和二十八年六月二十日附をもつて下付されたものであることは明らかであるが、証拠によれば、控訴人が前記のように身柄拘束のまま検察庁の取調を受けていた当時、その結果控訴人が刑責に問われることになれば将来控訴人が医師の国家試験を受けることの支障となることを憂慮した控訴人の家族が、K弁護士に弁護を依頼し、K弁護士は本件家屋をもつて控訴人の破産会社に対する債務の代物弁済に充てることの条件で、同会社と示談を試みる考えで、それには控訴人の印鑑証明書が必要であるから、予め役場からその交付を受けておくように控訴人の家族に指示したことが認められ、まだ本件印鑑証明下付申請添附の委任状の写によれば、昭和二十八年六月二十日になされている控訴人の印鑑証明下付申請は大上けんが控訴人の代理人として申請手続をしていることが明らかであるので、本件登記申請に用いられた控訴人の印鑑証明書は控訴人の不在中、家族のものがK弁護士と相談して交付を受けておいたものが用いられた、と推測するのが相当である。してみると、たとい本件代物弁済の合意の成立したのが、前認定のように同月二十四日に控訴人が釈放された後であつたとしても、右合意を原因とする所有権移転登記につき、予め準備された右印鑑証明書が使用されたことは少しも怪しむべきことでなく、右印鑑証明書の下付を受けるについて、どの程度控訴人の意思が加わつていたかは、その後に当事者間に真に代物弁済の合意が成立した以上、右登記の効果に関係がないというべきである。そして、当審における控訴人本人尋問の結果中、本件所有権移転登記は控訴人に無断でなされた旨の供述部分は、乙第四号証(異議申立書と題する書面)中、控訴人自ら「この件については小生名義の家屋を売買登記により一応解決付き居るものにて」と記載してある事実に照らしても信用できない。また、本件家屋の登記済権利証を現に控訴人が所持しているとの控訴人主張事実についても、前に認定した本件代物弁済に至るまでの経緯にかんがみれば、単にその一事をもつて右家屋につき代物弁済の合意が成立した事実を否定するには足りない。

よつて控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないとしてこれを棄却した。

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